復讐の銃と和睦の刀 Side:竜胆
「はい、と言う訳で今日は掃除の続きをしようと思います」
小夜のぬくぬくとした体温でぐっすりおやすみした彼女は大分すっきりした顔をしている。
「申し訳ないんだけど小夜君は離れから出られないから、ここの残りを掃除してもらっていいかな?」
「分かった。・・・貴女は?」
「こんのすけと一緒に母屋掃除」
こんのすけの機能の中に簡易結界と言うものがある。何かあれば彼女が結界を張るより先にこんのすけの結界が作動する。その間に彼女が本格的な結界を張る。完璧だ。
それでも小夜は心配なのか彼女の服の袖を掴んで上目で見つめる。
「小夜君は天使だ・・・!」
ぎゅうぎゅうと抱きしめて頬ずりする。
「でもね、私本当は初期刀持っちゃダメなんだよ。だから小夜君のことは隠しておかなきゃいけない。出陣には一緒に来てもらうけど、それ以外は離れの結界からは出ちゃダメだよ?」
離れの前には小さいけれど畑もある。二人と一匹が食事をするために必要な野菜は十分育てられる。
彼女が離れに張った結界には刀剣男士の姿を隠す効果もあるため、母屋に居る彼らには小夜の存在は知られていない。
「それに万一の為に防御は完璧にしていくから」
彼女はニコッと笑うと出陣の際に使っている迷彩服を取り出す。
これもまた先輩審神者の妖精さんにより強化済みだ。
防刃ベストやらなんやら。うっかり抜刀されたときの為に防御はきちんとしておくべきだとばかりに彼女は着込む。
「よし、じゃあ行ってくるね」
「・・・うん、何かあったらすぐ呼んでね」
「分かった。頼りにしてるよ」
むにむにと頬を揉むと彼はほんのり顔を紅くして頷く。
聖剣エクスカリモップを片手にとりあえず台所に向かう。
「うわ、ひでーなこれ」
意識して男のような口調でしゃべる。
「きったねえ。これ全部捨てていいよな?」
「そう・・・ですね・・・これは酷い」
ゴミ袋に次々物を入れ、冷蔵庫の中の腐った物も叩き込む。
窓と扉を全開にして空気の入替。埃臭いが閉じきっているより断然マシになった。
水にぬらしたモップでひたすら汚れた床を擦る。
どのくらいその作業を続けていたか、ようやく床が綺麗になった。
ふう、と一息ついて彼女はモップを壁に立てかける。
一度水を交換しないといけないだろう。
バケツを持って立ち上がり、井戸へ向かう。
「・・・江雪、左文字」
厨の入り口で中を見ている刀剣男士は先輩本丸でも見知った顔だった。
しかしこちらの江雪は余裕がないのか顔色は悪いが。
「手入れを受けた様子はなさそうですね。いかがいたしますか?」
「・・・今日中に台所と風呂の掃除はしたい。行くぞ、こんのすけ」
バケツをしっかり持ち直しそう言うと「かしこまりました!」とこんのすけは目を輝かせる。
今度カスタマーサポートに相談してみよう、そう思いながら彼女は江雪に声をかける。
「何か用ですか、江雪左文字様」
「・・・貴方が、新しい審神者、ですか」
表情のない暗い瞳。値踏みされるような感覚は薄気味悪いが仕方のないことだ。
「ええ、そうです。掃除中なので話であれば後でいいですか」
彼女が持っていたバケツと雑巾を見て察したのか江雪は一歩後ろに下がる。
「こんのすけは使い捨てのクイックルシートで拭いてくれ。俺は雑巾で埃をどうにかする」
「かしこまりました!私めにお任せください!」
彼女の言葉に喜々としてこんのすけは清掃用シートを口に咥えて高いところや狭いところなどの掃除を始める。
彼女もまた雑巾を絞ると薄汚れた机等を拭き始める。
「貴方は・・・私たちに何をさせようというのです」
「まずは手入れを受けてもらいたいです。本霊に還すにしても傷だらけなのはどうかと思うんで」
汚れた机と格闘しながら彼女はそう返す。
彼らに戦力は期待しない。
期待してはいけない。
本当ならば小夜の事も連れてきたくなかったくらいだ。
あの本丸は幸せに満ち溢れていた。
彼らは己の本分を発揮し、審神者もまた己の役目を遂行していた。
それに水を差したのは異分子である彼女だというのに、あの優しい本丸は彼女を受け入れ、そして力を与えてくれた。
彼女が歴史修正主義者と戦うことを決めたのは復讐に他ない。
江雪左文字。彼は刀剣男士の中でも戦うことを嫌う性格だ。
きっと真っ先に刀解を望むだろうな、彼女はそう考えながら少しずつ綺麗になっていく机を満足げに眺めた。
「よし、綺麗になった」
「見違えるように美しくなりましたねぇ」
「そういうこんのすけは埃まみれだな。後で洗ってやるからな」
白い毛皮が茶色に変色している。今すぐに洗ってあげたいが、直ぐに風呂掃除に取りかからなくてはならない。
「江雪左文字様」
「・・・何でしょうか」
「俺たちは今から風呂を掃除します。台所はある程度綺麗になったのですぐにでも使えます。食料も直ぐに届くのでそれを使ってください。風呂も夜から入れるようにはしておくので」
何か言いたげな目をしていたが彼女はさっと会釈だけをしてその場を去る。
モップの次はデッキブラシだ。
風呂場用洗剤とデッキブラシを持って大浴場へ向かう。
「こっちもまたきったねえな」
「どうやらほとんど使われてなかったようですね」
彼女はため息を吐くと窓を全て開け放ち水をぶちまける。洗剤を使って床を擦り汚れを落としていく。
こんのすけも小さな体で隅の方から掃除をしてくれているので助かっている。
「・・・にしてもこんなんなるまで放置とか前任頭おかしいんじゃねえの?」
「政府もクズが多いですからね」
「お前政府の式神じゃなかったっけ?」
カスタマーセンターって何時までなんだろう?彼女は頭の片隅でそんなことを考えながらせっせと風呂の床を磨く。
日が沈んだ頃ようやく風呂の掃除が終わりお湯も沸かし終える。
「あー、早く離れに戻って風呂入りたい。でもその前にもう一度妖精さんたちに挨拶したい・・・」
「・・・ですがこの格好ですからねぇ」
自分の埃まみれの格好を見下ろして明日にするか、と彼女は体を伸ばす。
「離れに戻るか」
「はい!」
母屋を出る途中何人かの刀剣男士とすれ違う。
その目に浮かんでいるのは憎悪であったり恐怖であったり懐疑であったり様々だ。
それらすべてを無視し、離れに戻る。
「ただいまー」
「おかえり。お風呂出来てるよ。」
「本当?有難う、お風呂入ったらご飯にしようか」
小夜の言葉に甘え先に入らせてもらう。
小夜とこんのすけが入っている間に夕食の準備をする。
炊き立ての白米に塩気が美味しい紅鮭。味噌汁の具はわかめと豆腐。卵焼きも作る。
風呂から上がった小夜の頭をドライヤーで乾かし、次はこんのすけ。
先輩本丸に居た時よりも静かにはなってしまったがこれはこれで幸せと言える生活なのかもしれない。
「いただきます」
「いただきます」
夕食を食べながら本日の成果を話し始める。
「小夜君凄いね。離れがあっという間に綺麗になったよ」
「・・・そんな、ことない」
「ありがとう」
そうやってお礼を言えば小夜が顔を赤く染める。
可愛いなぁ、と思いながら自分の皿に乗っていた卵焼きを一つ小夜の皿に乗せてやる。
「・・・?」
目をパチパチと瞬かせて首を傾げる小夜に「頑張ったからご褒美ね」と彼女は笑う。
「もう少し余裕が出来たらお菓子を作ろう」
「・・・僕、前に貴女が作った・・・けえきが食べたい・・・」
「分かった。楽しみにしててね」
嬉しそうな顔を見ていると、こちらまで嬉しくなる。
ケーキ作りはいつにしようかな、そんなことを考えながら彼女は卵焼きを一つ口に放り込んだ。
―ある刀の独白―
あの審神者は一体何がしたいのだろうか。
掃除だと言って廊下の奥へ消えていく後ろ姿を眺めながら刀は思った。
昨日挨拶に来た時もそうだ。
あの童の魂は静かすぎる。
まるで池のように。何かを投げ込めば、風が吹けば波紋を立てるであろうが審神者の魂には何もない。
ただただ水面のように静かに。
刀にはそれが逆に恐ろしく思えたのだ。
時が流れれば変化が起こるはずなのに、審神者の魂は何一つ揺らがない。
刀は仲間内の中ではまだ損傷の程度が軽い物だったため、審神者を探すために部屋を出ていた。
かつては弟たちと暮らした部屋も、彼らが居なくなると同時にうすら寒い物へ変わっていった。
声をかけられたとき、疑いは確信に変わる。
審神者の心は動きのない池などではない。
ただただ冷たい氷の塊だ。しかし、その氷の中に激しい感情があるのも分かった。
審神者は、自らの意志でその感情を閉じ込め氷になった。
『刀解を望む方は』
この審神者は一体どんな気持ちでその言葉を発したのだろうか。
審神者が持つ強い感情。それは純粋な殺意。
歴史修正主義者へ向けられた刃物のように鋭い明確な殺意だ。
一体あの童は何がしたいのだろうか。
歴史修正主義者と戦うには刀の力が必要だ。
それだというのに刀解してほしいのならば言えと言う。
刀解した後に新しく刀を作るのだろうか?
あの童もまた前任のように変貌するのだろうか?
また、兄弟刀が折られるのだろうか?
刀達がどこかへ置き忘れてきた『敵を屠る』という思いをあの童は持ち続け、心の内で滾らせながらもそれを一切人に悟らせることはない。
瞬間、ドンという大きな音がする。
厨の中に大きな箱が置かれていた。
これは一体、と思うのと同時に先ほど審神者が言った「食料はすぐ届く」という言葉を思い出す。
箱は冷やされていたのか冷たく、何か紙が貼られている。
『竜胆様申し訳ありません。こちら頼まれていたものになります』
震えた文字で書かれたその紙。
刀は箱と紙を交互に見やる。
「今のは一体何の音・・・って、え!?何でこんなに綺麗に・・・あれ?何この箱!」
刀に声をかけたのは仲間の刀だ。
仲間は刀と箱を交互に見て驚いた顔をしている。
「・・・あの審神者が厨を掃除し・・・今は風呂の掃除をしているそうです」
「え・・・」
仲間の顔色が曇る。
それもそのはずだ。刀達は人間に虐げられた。刀達は人間を、とりわけ審神者を嫌っている。
「箱の中身は食料だそうです。・・・調べてみましょう」
「そう、だね」
毒の類が混入されていればすぐに分かる。
刀達は箱を開けて中身を確認する。
毒など入っていない。それどころか新鮮な野菜や魚、肉が詰まっていた。調味料の類もある。
これでやっとご飯が食べられるよ、と嬉しそうに言う仲間に刀はそうですね、と頷く。
あの審神者の考えていることが、分からない。