眠る娘は本丸維持装置


離れの庭に面した障子。
拳ひとつ分程開いている所から中を見れば娘がすやすやと眠っていた。

これで、いいはずだ。

彼は自分に言い聞かせると踵を返す。
母屋と離れの間には、誰も入ることが出来ない強固な結界があった。



娘がこの本丸にやってきたのはもう三年も前になる。
娘は本丸を引き継ぐためにやってきた審神者だったが本丸の刀剣達は娘に厳しい言葉を投げつけた。
「君が主だなんて認めない」「主を返して」「早く帰れ」
そうしてついにはこの女を殺せば、などと物騒な言葉が出てきた所で娘が口を開く。
「はあ、帰っても構いませんが前任さんは戻ってきませんよ。あんなにお年を召した方をこき使うおつもりですか?」
怠そうに言われた言葉に刀剣達は固まる。
確かに前任が審神者の任を解かれたのは余命宣告をされたからだ。
「分かりました。じゃあ帰りますね。ここの刀剣達は余命宣告された老人をこき使う極悪非道の刀剣男士だって報告もしておくので」
よいしょ、と娘は杖を使って立ち上がる。
「処分は軽くて刀解、重くて破壊だと思いますので。じゃあ失礼します」
たどたどしい足取りで大広間を出ようとする娘の足元にこんのすけがすがりつく。
「娘よ。俺たちは貴様を主と認めることは出来ない」
「あー・・・じゃあこうしません?私、霊力が他の人と比べて規格外に多いし質もいいらしいんですね。手入れも刀装作りも皆さんで出来るように霊力循環させますので。私も審神者やるしか生き延びる道がないんですよ。貴方方も好き好んで刀解されたいわけではないでしょう?」
相変わらず怠そうな顔のまま、娘は笑う。

「私は刀剣男士様に命令をしない、刀剣男士様は私を主とは思わない、けれど私は審神者としてすべき手入れや刀装作りに置いて霊力を巡らせる・・・こんなところですかね。ここの離れって前任さんが就任してから使われてないみたいなのでそちら使わせてもらいますし、貴方方の目の前に顔を出す事は・・・絶対ないとは言い切れないですねぇ。政府に行くときは正面ゲート使わなくてはいけないので。まあ居ないものとして、本丸維持ようのナマモノがあるとでも思っておいてください。私は貴方方の「主」にはなりません」

どうです?と審神者が言う。
「私は生存の道を辿れるし、貴方方は前任さんの教えをそのままに戦うことが出来る。悪い話ではないと思いますよ」

娘の言葉に彼らは話し合い、そして血判における契約書が出来上がった。
一枚は刀剣男士達が保管し、一枚は娘が、もう一枚は念のためにこんのすけが。

「では、失礼します」

杖を使ってたどたどしく歩きながら、娘は大きく欠伸をした。
瞬間、膨大な霊力が本丸を満たした。



娘は、特異体質だった。
幼いころからところ構わず寝てしまい、その都度人に迷惑をかけていた。
例えば歩いている時に、例えば食事中に、例えば運動中に。
時折スイッチが切れたように娘は眠りだした。
ナルコレプシーの一種かと思われていたそれは、まったくもって別の物だった。
膨大な霊力を生産することが出来るが、放出のコントロールが下手でその放出を行うために眠りにつくのだ。
ほぼ無限と言っていい霊力の生産装置。政府が娘に目を付けたのもその為で、両親はそんなおぞましいものだったのかと娘を政府に売り渡した。
娘の戸籍はその日、完全に抹消された。
娘の本丸における一日はほとんどが睡眠で消費されていた。
無限に生産される霊力を放出していく。ただそれだけ。
時折起きて外をぼうっと見ているが常に眠そうにしている。
石切丸や太郎太刀に言わせれば人の器には見合わない量と質の霊力が彼女の体を蝕んでいるのだと。その為に睡眠を取るのだと。
半年経った頃、害がないと判断したのか短刀達が離れを見ていた時に至っては一日中一度も目を覚ますことはなく眠り続けていた。
流石に体に悪いのではと厨を預かる燭台切や歌仙が食事を提案しても娘は
「これでも起きている時に食べていますから問題ありません」
とだけ言って受け付けなかった。

「あいつら、行った?」

障子を閉めて寝る体制に入り始めた娘に声をかけたのは、加州清光だった。
「ええ、行きましたよ。皆さん具合はいかがでしょう」
「全然問題ないよ。俺としては「主」にはもうちょっとこっちに居てほしいけど」
「ごめんなさいね、清光。難しい問題です」
娘の言葉に清光は笑いながら分かってるよと返す。
「ですが顔見せもしないなんて酷い主になってしまいますね。杖を取ってもらえますか?」
「え、俺が抱えていくよ」
娘の答えを聞かずに清光は横抱きにすると襖をあける。

そこには、春の庭が広がっていた。

大きな桜の樹、花壇には色とりどりの花。
遊んでいたらしい短刀達が娘の姿を見ると「主様!」と言って近寄ってくる。
清光は母屋の縁側に娘を座らせてやる。
「みなさん、こっちに中々来ることが出来なくてごめんなさい。怪我や病気はしていませんか?」
「はは、大将は心配性だな。こっちの事は任せておきな」

そここそが娘が作った「娘の為の本丸」だった。

自分の高い霊力を駆使し離れの襖の向こうに疑似神域を作り上げそこにもう一軒本丸を建てる。
それもまた政府の依頼・・・という名の脅迫だったのだが娘は意外とこの疑似本丸が気に入っていた。
表本丸の刀剣男士は娘と契約をしているわけではない、しかし裏本丸の刀剣男士は娘と契約をしている。
娘の特異体質を受けたからか、この疑似空間の影響か、彼らは出陣で怪我を負ってもここに帰ってくれば怪我はすぐに直る。
「審神者様。政府より連絡がありました・・・が」
「放っておいていいですよ。ここの刀剣男士達の特異体質は空間と霊力、どちらが欠けても成り立たないものです。私のこの能力は生まれつきのものですから、コピーは不可能でしょう」
出来たらそれはそれで面白そうですが、と娘は続ける。
この本丸の実情を知るこんのすけの尻尾が垂れる。
娘はそっと式神の頭を撫でた。
表の本丸と言う円と、裏の本丸と言う円。その二つの円が交わり合う場所が離れの審神者の部屋だ。しかし、審神者が認めた者しか襖を開けたところで裏本丸へ足を踏み入れることは出来ない。ただ、掃除がされず埃まみれの離れがあるだけだ。
「あまり長居は出来ませんが、少しお話しましょうか」
裏本丸には、現在確認されている刀剣は全員居る。
娘は欠伸を噛み殺しながら自分の刀達と楽しく語らった。


実質二つの本丸を運営しながら、娘は離れの一室で眠り続けていた。
裏本丸の刀剣達は娘が滅多に来ないことを悲しんでいたが、【眠って霊力を放出しなければ】娘の命が危ういことを知っていた為娘が初めて鍛刀した加州清光を中心に出陣や遠征をこなしていた。
「最近彼らがよく離れ前に来ますし、政府からも連絡が来ます」
ここ数日で三重に増やした結界の中であれば、裏本丸の刀剣達の存在がバレることはない。
それもこれも石切丸や太郎太刀と言った霊力に詳しい刀剣達のおかげだ。彼らのおかげで娘は短期間で霊力をコントロールする術を身に着けていた。起床時間も少しだが伸ばせるようになった。
そう告げた時彼らは喜び、そして娘の負担にならない程度に離れにやってきては娘との談話を楽しんだ。
「はあ?今更何なの、あいつら」
「分かりません、が・・・そろそろ顔を出さないといけませんね。政府への報告もしなければ」
明日は一日出ますね、と告げれば清光の顔がくしゃりと歪んだ。
「・・・うん、気を付けて」
「はい、気を付けます」
清光が微笑んだのを見て、娘もまた気だるげな顔に笑みを浮かべた。

「経過はどうだ」
「私は、うまくやれていますよ。表本丸・・・いえ、前任さんの気配が残ったあの場所の刀剣達は前任さんを盲信し出陣と遠征を繰り返しています。私の本丸の刀剣達もきちんとした指示は出せずとも貴方方からのノルマはこなしています。これ以上なにか問題でも?」
娘は怠そうな顔に少々の棘を混ぜる。
戸籍を消されて以来政府には様々な実験をされている。
そのせいで娘は人という枠組みから外されてしまった。今はその事に感謝すらしているが。
権力を持った人間と言うのは厄介だが、時に足元がお留守である。
「実験はどうしたんですか?ほら、私の遺伝子をコピーして霊力をー、とか言っていた」
ブラック上層部の男の口元が引きつる。それを見て娘は口元に笑みを浮かべた。
「多分、成功しても無意味だと思いますよ。私はこれが先天的なものだから付き合えていました。後天的にこの能力を植え付ければ、人体が保てなくなりますよ。肉体も、精神も。どっちが先に壊れるかのチキンレースです。楽しそうですね」
ふああ、とひとつ欠伸をする。
「申し訳ありませんが限界が近いので帰らせていただきます。・・・実験、成功したら教えて下さいね」
杖をつき、娘は部屋を出てゲートへ向かう。
ゲートをくぐれば表本丸の正面ゲートだ。数人の刀剣男士が居ることに驚きつつ「こんにちは」と当たり障りない言葉を紡ぐ。
「なあ、アンタは・・・」
「・・・何でしょうか、刀剣男士様」
娘がそう言えば黒い長髪の男―和泉守兼定がショックを受けたような顔をする。
「いかがいたしましたか」
「いや、アンタ・・・俺らの名前・・・」
「はあ・・・」
娘は眠い目を擦りながら

「私は皆さんの名前を知りませんから」

とだけ言う。
すると彼らは一様にショックを受けた表情を浮かべるのだ。
娘は首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「な、なあ、俺たちの主に」

とうとう、来るべき日が来たのだと娘は思う。

「いいえ、血の契約がある以上私は貴方方の主にはなれませんから」

失礼します。それだけを言って娘は離れに引きこもる。
起きたら、清光を呼ばないとな・・・。娘はそれだけを思って睡魔に身を任せた。




主が居ない、という事に最初に根を上げたのは誰だっただろうか。
見た目が幼い短刀だったか、構ってほしい刀剣が多い脇差だったか、少々拗らせている打刀だったか。
誰が言ったかはともかく、彼らは「主が居ない」という状況に軋みを感じ始めていた。
どれだけ戦で誉を取っても、どれだけ仕事を頑張っても「認められない」という状況に彼らの心は限界寸前だったのだ。

誰かが言った。「彼女を主にしよう」

誰かが言った。「契約があるからできない」

誰かが言った。「一度頼んでみよう」

しかし彼らの決心は無駄になり、とうとう壊れてしまった。
「契約書を 燃やしてしまいましょう」
誰かが言った。
彼らはこんのすけに言って契約書を奪い三日月が持っていたものと二枚をまとめて燃やしてしまった。
後は娘が持っている契約書だけだ。
けれど結界は頑丈だった。
神刀と呼ばれる石切丸や太郎太刀でも、天下五剣の三日月宗近でも、それを破るどころか傷一つ付けることが出来なかった。
何故、何故だ!と誰かが叫ぶ。
こんのすけだけは知っている。
この結界を破ることが出来るのは、術者である娘だけだと。
それを伝えようとしても、もう一つの本丸があることを伝えようとしても、式神の口からそのことを伝えることが出来ない。
強力な呪が式神の口をふさいでしまっている。
表本丸の彼らが前任の影を追い求めている間に、娘は着々と準備を進めていたのだ。
こんのすけにすら悟らせぬよう「本当の事を話すこと出来ない」という呪をかけ、離れに誰も入ることは出来ない。
ゆるり、と障子が開く。

「どうしましたか?」

眠そうな顔で娘が口を開く。
彼らは一様に契約書の破棄を、我らの主に、と娘に告げる。
しかし娘の表情は変わらない。
「無理ですよ、私では貴方方の「主」にはなれません。貴方方が求めることを与えることも、与えてもらうことも出来ませんから」
欠伸を噛み殺した娘は目元を拭う。
「ああ、そうですね・・・なら賭けをしましょう。代表者四人を選んでいただいて、私が隠している契約書を見つけることが出来たらそれを破り捨ててもいいですよ」
そう告げれば偵察が高く小柄な方がいいだろうと短刀から二人、脇差から二人が前に進み出る。
「どうぞ、お入りください」
娘がそう言い終えた後彼らは結界の内側に足を踏み入れる。
「時間制限は・・・そうですね。今は丁度太陽が真上にありますし、区切りもいいですから日が沈みきるまで。日没が終了時刻です。どうぞ好きな所をお探しください」
娘はそれだけを言うと縁側に横になる。直ぐにすやすやと寝息が聞こえてきた。
四人は顔を見合わせてばらける。
まずは娘が主に使っている部屋。片っ端から棚をあけ、中を漁る。畳を剥して裏を確認する。
何処にもない。
箪笥の裏にも、どこにも。彼らは襖をあけて廊下に出るが、そこに広がっていたのは薄暗い埃まみれの空間だった。
一度も掃除をしていないのか埃だらけの廊下、天井には蜘蛛の巣が張っている。

こんのすけだけは知っている。

娘の持つ契約書が【離れであって離れでない場所】に保管されていることを。
刀剣男士達には決して見つからない場所に保管されていることを。

それでもこんのすけは、その事実を告げることが出来ずにただ突っ立っていた。
タイムリミットは非情にもやってきた。
体中埃まみれになった四人は、離れの中をくまなく探したがどこにもそれを見つけることは出来なかった。
結界の外に追い出され、絶望の表情を浮かべる彼らの前に姿を現したのは

「うわ、埃まみれじゃん、汚いなー。早くもっと離れてよ、主が汚れちゃうでしょ」

【加州清光】だった。
「なん、で?なんで、おれがいるの?」
加州が呆然と呟けば、清光は娘を抱き上げながら「俺の主なんだから当たり前じゃん」と返す。
そのまま慈しむように娘の額に口づける。
「俺【たち】の、な」
薬研藤四郎もまた、自分と同じ姿をした付喪神の姿に目を見開く。
「じゃあ薬研後お願いね」
「ああ、任せておけ。どうせ大将の事だ、今日も碌に食ってないだろうからな」
薬研の腕に壊れものを扱うように優しく娘を抱かせると清光は刀剣男士達を見回す。
「これ以上俺たちの主に付きまとうような真似止めてよね。最初に【約束】してるはずなんだけど。彼女はアンタたちの「主にはならない」って」
薬研が襖を開くと、その向こうには美しい春の庭が広がっていた。
先ほどまで彼らが歩いていた埃まみれの廊下は?使われていなかった部屋は?
「ああ、主が言ってたよ。アンタ達を刀解する気はないけど、主になる気もないって。そりゃあそうだよね、主の刀は俺たちが居るんだから。アンタ達にも主が居るんだろ?なら・・・心の中でずっとすがってればいい。あ、後こんのすけ、主が「もう喋っていい」って。よかったじゃん、たくさん喋れるよ」

じゃあね。

清光は誰の返事も聞かずに、襖の向こうにある美しい本丸へと姿を消した。
清光を介して呪を解かれたこんのすけが刀剣男士達に今までの事を説明する。

娘が生まれついて持っていた特異体質の事。
それ故に親から捨てられ、二度と現世で生活することが出来なくなった事。
無限とも言える霊力製造の能力の解析、複製の為に人体実験を受け続けてきた事。
引き継いだ本丸の他にもう一つの本丸を作るという実験を行うことを脅迫されていた事。

何よりも

「あの方は、政府への復讐のために貴方方を歴史修正主義者へ仕立てようとしていたようです。しかし、あの方は彼らと交流していくうちに彼らに情を抱いてしまった。復讐より何より、あの方は居場所を求めてしまいました」

いいや、もしかしたらこれすら復讐の一つだったのかもしれない。
娘は引き継いだ刀剣達に情を一欠けらすら持たないだろう。
最初から娘が考えていたのは政府への、両親への復讐だった。
そのために娘は自分が呼び出した刀剣すら利用しようとしていた。
けれど、実験によって人の輪を外れかけていた娘はもっと別の利用方法を思い浮かべていた。

「加州清光により神力を与えられ、石切丸と太郎太刀によってその制御を覚えたあの方は、ご自身の霊力で作られた空間内であれば・・・神にも等しい存在です」

彼らはその話を聞いてぞっとした。得も知れぬ寒気が足元から彼らを飲み込んでいく。
本丸には娘の姿が消えた今も娘の霊力が循環している。
それが、彼らには何よりも恐ろしいことに思えた。