悪意は何処にでも

この本丸に主は居ない。
この本丸には審神者が居るだけだ。
かつてこの本丸に居た【主】は刀剣男士達の執着により現世への帰り道を失い、何処ともつかない場所でその命を散らした。
そうしてやってきたのは【主】の【娘】だった。
娘は刀剣男士を恨んでいた。父を殺し、母を殺した化け物共を。



「四十人以上の男共が部屋にみっしり詰まって土下座してるのを見たらなんかどうでも・・・よくはなってないんだけど。凄い勢いで謝りながら畳にめり込むんじゃないかってくらい土下座してたからなぁ・・・うん、まあこれからに期待しようかと」



そうして神も妖も信じない娘は審神者になった。
娘にとって彼らは父母の死の原因となった隣人である。
その為娘は刀剣男士の生活に一切関わらない。そして、彼らからも関わらせない。
「審神者さん!お願い!お願いだから休もう!?一体何日寝てないの?人間は寝ないと死んじゃうんだよ!?」
乱藤四郎が娘の肩を揺らす。関わるなと言われたがそんなことを気にしている場合ではない。
娘の目は血走り隈が出来ている。何日寝てないか?そんなものは忘れた。
娘は純然たる社畜だった。仕事をする事に生を見出し、そうして得た金を見てガッツポーズを取る。
聞けば母親の死の直後からこうなったそうなので刀剣男士達は間接的に娘を追いつめた事にもなる。
「何言ってるの。今からが最高にハイになれる時間帯なのよ?」
言いながら娘は猛スピードでコードを打ち込んでいく。
彼女の職業はシステムエンジニアである。


「そろそろ俺達も死を覚悟した方がいいかもしれないな」
自慢の打ちのけはどうしたのか、目が死んでいる三日月宗近がそう呟く。
何を隠そう先代【主】・・・つまり娘の父を本丸に軟禁した筆頭は彼である。
娘には頭が上がらないし、許しをもらえた事が奇跡だと思っている。
「・・・母君は大分お怒りだからね」
同じく三条一派の石切丸が苦笑する。彼はどちらかと言えば先代を現世に帰してあげたい一派であった。
娘には非常に強い加護が付いている。それは強い光に影が出来るような。
娘にとっては加護であっても、刀剣男士達には呪いでもある。
娘の【母】は最初からそこに居た。上品そうな、それでいてどこにでもいるような。
母が醜く変化した瞬間、彼らは一つのどこにでもある幸福な家庭を壊したことを察した。
娘を守る母の愛は加護と呪術という表裏一体の存在へと成って行った。
そんな母に守られる娘はランナーズハイなのか脳内麻薬なのか元気よく商売道具のパソコンに向かっている。
基本的に娘と刀剣男士は生活を別にしている。
娘は審神者になったのであって彼らの主になったわけではない。
しかし本来彼らは人の想いによって成り立つ存在である。愛していた主の娘とあればせめて食事は摂ってもらいたい。
そんな考えで一緒になった食卓で彼らが心に重傷を負ったのは別の話である。


「今日からよろしくお願いしますぅ」
「ハウス」

刀剣男士は死を覚悟した。
玄関には担当の男。それから可愛らしい少女。
それに応対するのは慈母のような笑みを浮かべた娘。
だが刀剣達は知っている。その笑顔は不味い奴だと。
娘は怒っている。それもガチギレだ。
「おいおい担当ちゃん。これはどういうことかなぁ」
ニタァという笑みを口に浮かべて娘は担当の男と肩を組む。
「私の所には見習いが来るなんて言う連絡は無かったはずなんだけど。それともメールの送受信不備かしら?普通了承してから連れてくるわよねぇ。ねえ、どういうことなの?」
娘の手には護身用のバールが鈍く光っている。
「え、いや、送りましたよ、メール」
「返事は」
「え?」
「私からの返事は」
バールが床を叩く音が鈍く響く。
「私ぃ、ここで研修したいですぅ」
娘は担当を突き飛ばすと少女をじぃっと見つめる。
艶やかな髪の毛に愛らしいメイクの施された小さな顔。豊満な体。
娘は顎に手をあてふむ、と頷く。
「ああ、あれか。神様相手の生贄ってやつか。私処女じゃないもんな。神様は処女厨ってどっかに書いてあったし」
「やめて!違うから!僕達そんなんじゃないから!」
「あ?あー・・・ホモ?いや、流石に私も父さんを無理やり襲ったって話は聞きたくなかった。娘として聞きたくなかった」
違う!と燭台切がじだんだを踏む。
「審神者よ、いいではないか。その娘の研修とやらは俺達が執り行う。お主は今まで通り仕事をしておればいい」
「・・・居住区域に他人が居るのが許せん。ハウス」
「ちょっと!さっきから聞いてればなんなのよ!私のパパはすっごい偉いんだから!私が言えばアンタみたいなババア、直ぐ首に出来るんだからね」
瞬間、ざわりと空気が揺れる。
三日月も、燭台切も、その場にいる刀剣男士の顔がさっと青くなる。
乱は青い顔をしながらも抜刀しようとして、娘によってそれを遮られる。
「おい小娘。お前、社会に出た事はあるか?」
「は・・・?」
「言っとくけどな、パパの権力なんぞパパが死んだら何の意味もないからね。何か腹立つしコイツちょっくらしごいてやるわ」
むんずと少女―見習いの首根っこを引っ掴むと楽しそうに笑いながら廊下を歩いていく。
ゆらゆらと揺れながら怨霊と化した母親がそれに続く。
既に伸びている呪いの糸。きっと見習いは死ぬだろう。そして、担当や見習いの一族も。
彼らは顔を見合わせる。

彼らは罪を犯した。だからこそ償わなければならない。

ざわざわと揺れる空気に、彼らは無言で頷いた。



「ダメだな、アレ」
娘は同僚との会話中ぼそりと呟く。審神者への転職と共に政府直属のSEとなった彼女は今までの功績もありすんなりと受け入れられていた。
「ああ、お前んとこに見習い来たんだっけか?普通そんなんないはずなのになぁ」
画面向こうの同僚は栄養ドリンクを飲みながらそう返す。
最初の数日は面倒を見てやったが見習いは邪魔だとばかりに逃げ、刀剣男士に媚びを売っている。
「乗っ取りとかあるけどどうすんのよ」
「豚箱入る覚悟で全員殺す」
徹夜を乗り越えた良い笑顔で娘は微笑む。菩薩のような穏やかな笑みが逆に恐ろしい。
「初日から思ってたけど結構お前ぶっ飛んでるよな」
「あははははは、こっちはお国様に両親殺されたようなものなのよ?ネジ飛ばさなきゃやってられないわよ」
娘の地雷を踏み抜いた事に気付き、同僚は乾いた笑いを上げる。
この娘に信仰心はない。神様も妖怪も、娘の中には存在していない。
いつまでこの本丸は、戦の前線基地としての機能を保てるのだろうか。
刀剣男士達は理解しているはずだ。この娘を審神者として迎え入れている以上己たちの身が長くはない事を。
そして、彼らが朽ち果てた所で娘の心には少しの傷も残らないことを。
人の信仰により成っている彼らにはそれ以上無い程の苦痛であり、存在を踏みにじられる行為だ。
それでも彼らはその茨の道を選んだ。
何本目かの栄養ドリンクを手に取った所で、浄化部からの内戦で彼は凍りついた。


―――


・・・いや、何も。何か騒がしいと思って部屋を出たら見習いが死んでるって。
あー・・・えー・・・名前何だっけ・・・あ、そう、乱藤四郎が伝えに来て。
は?何で私が?
呪い?・・・いや、呪いって。呪い・・・呪い・・・ははははは。
何笑ってるって・・・呪いなんて非科学的なもの存在するわけないじゃん。
病気か何か持ってたんじゃないの?それが急に悪化したとか。
・・・何その顔。何で呪いを信じてない・・・って。
え、アンタそんなモン本当に存在してると思ってるの?
あ・・・ああ、いや。いいんじゃない?
信じてても。誰が何を信じてても自由だし。特に日本なんて宗教もなんもかんもごっちゃ混ぜだし。
でもそれを他人に強要するのはよくないと思うんだけど・・・。
はあ・・・病死じゃありえない。呪いとしか考えられない。
・・・・・・つまりあの見習いが死んだのは呪いのせいだと。
仮にそうだとして、私が疑われてるんですよね、これ。
私が見習いを殺したと。そう言いたいわけですか。

呪いなんて、あるわけないじゃないですか。

それに私があの小娘を殺す理由がないです。
・・・研修?三日くらいであの小娘が逃げましたよ。なので放っておきました。
了承してないのにあんなん送られてきてこっちだって困ってるんですよ。
頭おかしいんじゃないですか?
社会人の常識は報告、連絡、相談ですよ。
じゃあ仕事があるんで帰ります。

・・・え?刀剣男士をどう思ってるかって?
ただの隣人ですよ。・・・・・・・・・私の両親を死に追いやっただけの。


―――


見習いは【それ】から逃げていた。
【それ】が何なのかは分からない。ただ、本能的に逃げなくてはと思っていた。
捕まってはいけない、捕まったら・・・殺される。
見習いは大広間へと逃げ込む。大抵ここには誰かしらがいる。
自分が助けを求めれば刀剣男士達は【それ】を追い払ってくれるはずだ。
それを期待して開いた大広間への襖。
そこにはこの本丸に居る全員が揃っていた。
見習いが飛び込んだ瞬間、全員の瞳が見習いを貫く。
異様な光景にも気づかず助けを命令しようとした瞬間、静かに三日月が口を開く。

「ああ、やはりお前は母君を怒らせてしまったのだな。遅かれ早かれこうなるかと思っていたが。どれ、母君の手を煩わせる前にこのじじいが斬り殺してやろう」

すらりと自身を抜きながら三日月は妖艶に笑う。
どういうことだと見習いは喚く。
誰も三日月を止めない。それどころか見習いを汚らわしいもののような目で睨みつけている。
助けなさいよ!パパに言いつけてやる!見習いは這いずりながら喚き散らす。
その瞬間、じゅうっという何かが焼ける音がした。

え?
困惑したまま見習いは自分の体を見下ろす。焦げ臭い。嫌な臭い。
臭いの原因が自分だという事に見習いは悲鳴を上げ―そしてそれすらも喉が焼けた事で聞こえなくなる。

―悪い子、貴女、とっても悪い子ね。

【それ】は歌うようにそう言うとゆったりとした動作で腕らしき部位を見習いへ伸ばす。
もう声も出ない。恐怖で見習いは目を見開く。

脳みそがガンガンと揺れ、臓器と言う臓器が鷲掴みにされたように痛む。
ぶちりと何かがちぎれる音がして、見習いは事切れた。

【それ】はまだ何かを歌うように、楽しそうに言葉を紡いでいる。

―悪い子を叱ってあげるのか母親の役目だものね。もうこの子は悪い事はしないわね。





だって、見習いはもう死んでいるから。