水面に揺るる逆さ月にて


ふぅ、と息を吐く。
雪景色の中、普通の人なら吐いた息は白く空へと登っていくのだろうが人ならざる身のアタシではそんな当たり前とも言える現象も起きずにただ息を吐いた音だけが微か耳に届くだけだ。
例え深呼吸をしようと酸素が減らなければ二酸化炭素が増えるわけでもない。
人への干渉も出来ずただ見ているだけ。
そういう風に母はアタシの魂を殺して弄ってくっ付けて。
今本丸にいる刀剣たちが見ている「この姿」もあくまで姉である**をイメージしたものであり、名も与えられずに殺された赤子の成長した姿ではない。とはいえ、一卵性の双子だから生きていたら大体こんな姿だったのだろう。
人が座る真似事をして縁側に腰掛け、池に映る月をぼうっと眺める。
まだまだ夜は長く、何をして暇をつぶそうかと考えるも何も浮かばない。

「あー、飽きたわー」

大きな独り言を呟いてごろりと寝転がる真似。
寝転がることも出来ない。そのまま後ろに倒れたら床にめりこんでしまうだけだ。

「何やってんだ大将」
聞きなれた声にアタシは視線だけを向けて顔を見る。
「薬研か。こんな時間にどうした、う●こでもしに行ってた?」
「そういうこと真顔で言える大将は好きだぜ」
カラカラと軽い笑い声を上げて薬研がアタシの隣に腰掛ける。
こういうところは薬研は気楽で良い。
光忠辺りなら「女の子がそんなこと言ったらだめだよ」だなんて窘められてしまう。
既に人間でもないアタシが「女の子」というくくりなのか、とかそもそも享年0歳だぞ?だとか、外見的には20も半ばだからそんな年齢でもないだろだとかツッコみは回るが。
「で?どうした?眠れないのか?」
「いや?別に?」
すいっと体を動かす。起き上がっても薬研の隣に影は出来ない。
それはアタシがこの現実に何の干渉も施すことができない証で、生きてはいないという証で。
今までそんなことを考えたこともなかったのに喉の奥がきゅっとする。
「というかアタシには睡眠は必要ないしね」
「・・・そうだったのか?」
そもそもとして生者ではないので人間の三大欲求における睡眠欲、性欲というものは存在しない。
食欲・・・もあると表現していいのかは分からないが生物が持つマイナスの感情はアタシがこの場に存在するために必要なものなのでそれは食欲と言っても差し支えはないのだろう。
他にも痛覚や触覚なども存在しないので人の言うところの熱い、寒いという感覚も分からない。
「そりゃあ夜は暇してんな」
「暇なんてもんじゃないわ。仕方ないから畳の目を数えてるのよ」
冗談で返すと薬研は笑う。
「元々大将は・・・姉さんに憑いてたんだろ?そん時もそうだったのか?」
**が生きてた頃、か。
そういえばどうだったかと思い返す。
「そういやあの時は**が眠るとアタシの意識も強制的に落とされてたわねぇ」
今も人に憑いてたらその人の生活リズムに合わせて眠れる(というよりは意識を落とされる)のかもしれないけれど。
「なら俺にでも憑いておくか?」
冗談めいた口調に「寿命を吸ってもいいならね」と冗談で返す。
ひとしきり笑ってから薬研は立ち上がる。
「外眺めててもいいけど風邪引くなよ」
「嫌味か、それ」
ぎいっと廊下が鳴る音にまた喉の奥に違和感。
アタシの視線に気づいたのか、薬研が振り返る。

「大将?」

違和感だ。
そうとしか言いようがない。生きられなくて、二度目とも呼べない二度目の生に。

「アンタのせいで、楽しいって思っちゃったじゃない」

独りでに言葉が漏れ出る。
今までそんなものは何もなかった。
嬉しいも悲しいも、熱いも冷たいも、痛いなんてことすら。
それなのに、思えた。思って、しまった。
人間じゃない、人間として生まれながら人間だなんて認められなかった。
感情なんてなかった。**と共に居たときはそんなものを感じる事さえ許されなかった。
それなのに。それなのに。

「暑くもない、寒くもない、痛みも感じない化けモンなのに。楽しい、なんて覚えちゃったじゃないの」

これからも感じられない。
同じものを共有することすらできない。
それなのに、こんなの。
その事がとても寂しくて、悲しい。

「・・・・・・」

「薬研?」
部屋へ戻ろうとしていた薬研はくるりと向きを変え庭に向かって歩き出す。
そのまま素足のままで庭を歩くとそのまま池に飛び込む。

バシャン

静けさが支配していた庭に水音が響いて、ゆっくりと消えていく。
「ちょ!アンタ何やってるの!元は刀って言ったって今は人の体なんだから風邪・・・」
慌てて薬研の元へ寄る。今の季節に冷たい池に飛び込むなんてバカがすることだ。
「冷てえよ、水」
「はあ?」
そりゃあアタシには分からないけれどそうでしょうよ。
さっさと立ち上がりなさいよ!と手を差し出しても、触れられない。
そうか、触れられない、感じられないというのは支える事も出来ないってことか。
ここに来てから初めて覚えることだらけだ。
手を差し出したポーズのまんま間抜けみたいに突っ立っているアタシの手を・・・薬研はまるで握るかのように差し出す。
すうっとすり抜けてしまうが、何故か少しだけ・・・救われたような気がして。

「別に大将が感じられないっていうなら俺が事細かに伝えてやるからさ」

これが、泣きたいっていう感覚か。
「・・・いいから上がって着替えなさいよ」
ふっと笑みが自然に浮かぶ。
「そうすっか。これ以上池に居たら風邪引いちまうよ」
「温かくして寝なさいよ?」
「ああ、おやすみ。大将」

「おやすみ、薬研」

手をひらひらと振って薬研を見送る。
・・・この気持ちの行く末は、バッドエンドだと決まっている。
それは変えられない未来だ。
この戦いが終わったら、薬研は刀に戻るのだろうか。
それとも人の姿をとったまま生きられるのだろうか。

あたしは、


「消えるしか、ないのよ」


バッドエンドだと分かっていても、それでも、芽生えたこの気持ちだけは・・・大切にしよう。



―――
タロット No18 The Moon
正位置の意味
不安定、幻惑、現実逃避、潜在する危険、欺瞞、幻滅、猶予ない選択。
逆位置の意味
失敗にならない過ち、過去からの脱却、徐々に好転、(漠然とした)未来への希望、優れた直感。